視界いっぱい、なにもかもが真っ赤だった。まるで夏の間中、燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光に焼かれて溜め込んだ熱を、今になって一斉に燃え上がらせているかのような鮮烈で激しい赤色の繁り。知らず漏らした吐息の白さえも、沈みかけの太陽の光に照らされてすぐに赤く染まる。
(綺麗だなぁ)
どの季節も美しいけれど、この街の秋は格別だった。時代の面影を色濃く残した歴史ある建物群、数多の神社仏閣、舞妓や芸者を筆頭とする文化と伝統。それら全てが組み合わさって生み出される、風情ある佇まいの街並み。その間隙(かんげき)を埋めるように植えられた銀杏や楓や桜の樹が色づく季節は、それはもう、ただひたすらに美しい。
でも、だからこそ皮肉だ、と思う。
大量の落葉で覆われたアスファルトの道の上、夕方の冷めた木漏れ日が赤と濃茶色の絨毯に薄く降り注いでいる。一歩一歩地面を踏みしめるたびにパリパリと葉が砕ける音がした。視線を下に落として目を凝らすと、落葉の隙間にプラスチックの木っ端やタバコの吸い殻が見え隠れする。次いで顔をつと横に向ければ、側溝に吹き溜まった枯れ葉にまみれ、ペットボトルやプラスチックのカップが転がっているのが確認できた。ざっと周辺の状況を把握して、順序を決めながら慣れた手つきでゴミを一つ一つ丁寧に拾い上げていく。
「なんかなあ・・・。そんなに難しいかね、道にゴミを捨てないってだけのことが」
すぐ側で、同じように作業をするボランティア仲間の一人が、堪りかねた様にぼやいたのが聞こえた。本当にな、とこれには苦笑して返す。
「簡単すぎることだから守らないんだろう。容易な事ってのは往々にして軽視されやすいからなぁ」
月並みな表現だが、今日は朝から良く晴れていた。いわゆる秋晴れというやつだ。気温も高く風も凪いで、紅葉狩りには絶好の日和。今日みたいな日には、街や観光地は束の間の秋の美しさを求める人々で、どこもかしこも溢れかえる。特にここらの区域は紅葉の名所が点在していて、訪れる人々の数も並外れて多い。けれども、人が集まること自体が悪いというわけではなかった。消費行動が増えれば、それだけ経済が回る。問題なのは、人とカネがそうであるように、人とゴミもまた切り離せない関係にあるということだ。街が人を迎えるだけ、排出されるゴミも否応なしに増えてしまう。なかでも、ポイ捨てと呼ばれる行為は後を絶たず、海外からの訪問者が増加傾向にある近年は益々その深刻さを増していた。
「もちろん、全員が全員そうじゃないなんてことは大前提だけどさ。綺麗なものを望んで来る癖して、汚して帰るってのがよく分からん」
基本的に景観の維持や向上は、ひとえに人々の良心に依(よ)っている部分が大きい。一方で、やはり誰も彼もが環境やゴミの問題を真摯に受け取るはずもなく、こうやって自分たちがまき散らされたゴミをかき集めて回っても、明日には明日分のゴミがどこからともなく湧いてくる。堂々巡りで、いっかな終わりが見えない。
「本当に、難儀な事だなぁ」
美しさが人を惹きつけ、為に美しさが損なわれていく。果たして美しさを愛でる人の行為そのものは、美しいばかりではないのだと痛感せざるを得ない。
「このゴミ袋が一杯になったら、今日は切り上げよう」
いよいよ秋も暮れかけの十一月半ば。午後の四時半を告げる家路の音が鳴り響く頃には、既にあたりは薄闇に包まれて、方々にオレンジ色の窓明かりが浮かび始める。日が落ちて微かに吹き出した、頬に触れる風が冷たい。
ほどなくして、最後の一袋が満杯になった。
Fin.